急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし

※だいぶ長いです※

みなさんは急性散在性脳脊髄炎という病気を聞いたことはありますか?

通称ADEM(acute disseminated encephalomyelitis)と言われる病気で、発症率は、10万人に2.5人と言われています。
自己免疫疾患のひとつで、ウイルスをやっつける免疫力が頑張りすぎて、自分の体までも攻撃してしまい、神経線維を覆っている髄鞘(ずいしょう)破壊される脱髄(だつずい)という現象が起こる疾患です。

原因は主に

感染後ADEM(発疹性ウイルスやインフルエンザウイルスなどに感染した後に発症するタイプ)
ワクチン接種後ADEM(インフルエンザ、日本脳炎、風疹、破傷風などなどワクチンを接種した後に発症するタイプ)
突発性ADEM(感染症やワクチン接種歴がなく、明らかな誘因がないタイプ)

とあり、小児から若年層での発症が多く、重症の場合は重い後遺症が残ったり死亡してしまうこともあります。

【参照】
急性散在性脳脊髄炎(ADEM:acute disseminated encephalomyelitis)Q&A
急性散在性脳脊髄炎の症状・原因・治療 Doctors Me(ドクターズミー)

っていうのが2年半前に私自身が患った病気なんですが、当時はどんな宝くじだよって思いました。10万人に1、2人なら100万円くらいあたるんじゃないの?

ADEMを発症してからかれこれ2年と半年が経ちます。現在病気自体は完治しているのですが、残念ながら症状が重かった為、脊髄損傷となり、絶賛後遺症を残し車椅子での生活を送っています。
発症したのは2015年の12月末、もういくつ寝るとお正月間近というときでした。


当時私は新卒入社一年目の新人で、とにかく任された仕事を受け身でこなしていくのが精一杯でした。自分の体調管理なんて二の次もいいとこ、若いから大丈夫!と長年培われてきた体育会系スピリッツで何とかしのいできました。
しかし、精神論だけでは強力な菌やウイルスには勝てないようで、その年の最終出社日2日前に体調を崩しました。

しがない一人暮らしのため、体温計など常備してるはずもなく(みんなそうだと思ってる)ちょっと体がだるいなと感じる程度だったので、普通に出社して仕事をしました。先輩から顔がめちゃくちゃ赤いと言われましたが、今はしんどくないし今日早めに寝ます!と言うだけで特に何もしませんでした。


楽しみにしていた明石家サンタを見ずに泣く泣く寝た。

12月25日 違和感

最終出社日は大掃除でした。一晩寝たお陰で体はかなり楽で、なるほど若いってこういうことなんだ〜と思いひとまず安心していました。
体育会系下っ端は大掃除となれば誰よりも働かなければいけません。
体も楽になったお陰で、大掃除はかなりはかどりました。
大掃除を終え、会社のみんなで近くのうどん屋さんでお昼ごはんを食べることに。
あれだけ働いたから、いつもの倍美味しく感じるはずだ〜と大好きな鶏卵うどんを食べ始めたのですが、これが全然食べられない。

お、おいしくない…、いや、美味しいのだけど全然食べ進められない!
これしんどいやつ!これしんどいやつやん!

好物がたべられないことでやっと自分の体調がかんばしくない事に気づいたのでした。
結局うどんは先輩に食べてもらい(よく風引いてるのに食べろって言えたなと今は思う)、その日は午後からは自由時間だったので軽く買い物を済ませ、帰りました。
まさかその2日後、入院する事態に陥るとは想像もしませんでした。

12月26日 まだ大丈夫!

次の日は前々から予定していたデートの約束でした。彼からは「無理したらあかん」と言われていたのですが、その日をめちゃくちゃ楽しみにしていたのと、ウン年ぶりにできた好きな人(まだ付き合ってない)だったので「這ってでも行く」と迷惑を顧みず半ば強引に外へ出ました。
意識が朦朧とするなか、スターウォーズ フォースの覚醒を観ました。内容はほぼ覚えていませんが面白かったということだけは覚えています。
映画の後、私の薄いコートは良くないということで、とりあえずユニクロでコートの下にでも着られる軽いダウンを買うことになりました。というのも次の日に彼と有馬記念を場外馬券場で見る約束をしていたのですが、その格好では連れて行けないと言われたからです。もしかしたら言われてないかもしれない。このあたりのことは殆ど忘れてしまいました。
ユニクロへ行ったことはうっす〜ら覚えているのですがその後どうやってうちに帰ったのかなどは分かりません。
その次に覚えているのは、翌日の朝彼に「死んでしまう」とメッセージを送ったことです。

12月27日 これはアカンやつ

この日はひどい頭痛で目が覚めました。
今までに体験したことのないような痛みで、例えるならば筋骨隆々の男にこめかみを両側から渾身の力で合掌されている、というか万力で押さえつけられてる!?って感じの頭カチ割れる、ゲロでそう、そんな痛みでした。


頭がカチ割れるほどの痛み、そしてチラつくマッチョ

とにかく今日の競馬デートはさすがに無理だと思い、彼にそのことを伝えました。
30分ほど経ってコンビニで買った急ごしらえの看病セットを持って彼が来てくれました。
ひとまず彼が買ってきてくれた体温計で熱を測ると確か38度後半でした。
熱こそそこそこだったのですが、この頭痛は普通じゃないと感じ、救急に行きたいと伝え探してもらいましたが、奇しくもその日は日曜。限られた病院しか診療していませんでした。それでも行く以外の選択肢は無かったので、タクシーを捕まえて病院へ向かいました。

着くと思いの外早く診察をしてもらえることきなり簡単な診察の後、季節柄なのかインフルエンザの検査をしました。
結果は陰性。インフルエンザではなく先生の見立てでは髄膜炎かもしれないということでした。
髄膜炎…聞いたことある…病気かかった自慢のときに喋れるなこれ…とくだらんことを考えていると、この病院では詳しく検査できないので近くの大きな救急へ紹介しますので行ってくださいと言われました。はあ、はあ、と聞いてるのか聞いていないのかわからない呆けた返事をし、促されるまま大きな救急病院へ行くことになりました。

紹介先の病院へ着いた頃にはさらに熱は上がり、もうこの辺りから本当に断片的なことしか覚えていません。腰にいかつい針を刺されたことは普通に痛くて印象的だったので覚えています。
検査の結果髄液の中の髄液細胞数?がえらいことになってたようで即入院させられました。

この時の診断結果は、はじめにかかった先生と同じく髄膜炎で、最短2週間ほどで退院できますよと伝えられました。
病院で年越しかよ〜となっていたのですが、最終的にここから転院も含め、一年間近く入院生活を送ることになってしまったのでした。

12月28日 暗転

入院二日目の記憶は闇の中です。
この日の夜に私の病状は急変し、意識不明に陥ります。
常に隣にいてくれた彼や年末にも関わらず急遽実家からすっ飛んで来てくれた親から聞いた話では、「こんなはずじゃ無かったのになあ、こんなはずじゃ無かったのになあ」突然ぶつぶつと呟き出し会話は成り立たず痙攣して目はひん剥き(もはやホラー)癲癇(てんかん)のような症状が現れ、不整脈で心電図がドラマでよく見るピーーーッていう状態に何度もなったそうです。

そんなこんなで突如緊急で首の血管にカテーテルを数本通し、ステロイドの大量投入が行われました。
先生の的確な処置のお陰でなんとか一命は取り留めましたが、その後私が目を覚ましたのは年を軽くまたいだ2016年1月上旬でした。
結果私の病気は髄膜炎ではなく、激レアシック急性散在性脳脊髄炎だったのです。やっと当たったレアガチャみたいな言い方ですが、ドクソ病いです。忌むべきクソ病…。

ちなみに感染後ADEMなのか突発性ADEMなのかいまいち分かっておらず、診断書には不詳とありました。
今現在病気はとっくに完治しており、後遺症の神経痛も和らいで服用していたお薬の量もかなり減りました。この神経痛がとにかく辛かった話をまたおいおいしたいと思います。
楽しかったこともあるよ。


さて、そんなこんなで病気をしてしっかり後遺症(脊髄損傷)まで残して思うことは、何でもかんでもこんな感じで突然襲いかかってくるんだなあってことです。
今でこそそれなりに面白おかしく暮らしていますが、そういう気持ちになるまで私は2年もかかりました。直ぐに立ち直る人もいれば、ずっと苦しみ続ける人もいます。私も未だに突然悲しくなって泣き出すことがあります。

あのとき早めに熱を計っておけば〜とかそもそも体温計買っとけば〜とか言い出したらきりがありませんが、ついそんなことを考えてしまいます。でも遅かれ早かれこういうことにはなってたのかも、とも思います。

精神的なものは何だかんだで時が緩和してくれるようです。人間苦しい思いばかりではおかしくなるのか、自然に死ぬほどの辛さは薄めてくれました。もちろん辛いのは辛いですが。
幸い?母がガッツリ生命保険に入れておいてくれたおかげで入院費や実家の改装工事等々金銭面はそこそこカバーできました。あと、障害者ってことでいろいろ補助金も下りてたすかりました。こういった話もおいおい。

時代に恵まれたお陰で、めちゃくちゃ期待している再生医療は進歩をつづけていて、自己再生しない脊髄を治せる可能性が強くなってきていて、案外未来は明るいなあと思っています。

あと、結婚もしました。お相手は発症当初から支えてくれた彼ことボーダー夫です。(私が残した鶏卵うどんを食べさせられた先輩もこの人)ある意味病気が二人の距離を近づけてくれました。


左から、父、ボーダーおっと、私、母

むしろ病気してよかったやん、なんて周りから思われてるかもしれません。イケてるバリアフリーマイホームまで手にしたし…。(この話もおいおいおい…。)
※追記 ボーダー夫がバリアフリーマイホームのことを記事にしました!

でもそんなこと他人に言われた日にゃ言ったそいつをぶん殴ってやります。病気になっていいわけねえだろオラ!

楽しい→辛い→楽しい→辛い→楽しい→辛いの堂々巡りの毎日ですが、それは障害者になった私だけじゃないなと思って開き直ることにしました。普通に生きてるだけで辛い人いっぱいいるしね

それと昨日のお昼にボーダー夫から、「声優の梅原さんって人、散在性脳脊髄炎になって入院やって」と聞かされました。
先日仮面女子のメンバーの女の子が事故で脊損になったと知ったばかりで、胸中ざわざわしています。
散々ADEMになって辛かった話をしていたので、こんなことを言っても何なんですが、軽度であれば早く完治するようですし、後遺症もなく過ごしている人のブログを見かけますので、そうであればいいなと願っています。(ダリフラと銀河英雄伝も見てるから妙な親近感もあって余計に心配)

どう締めていいか分からなくなってきたので終わります。
みなさんどうが病気せず健やかにに生きましょう。

【この話の続きです】
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし②
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし③
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし④
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑤
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑥
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑦