急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし④

急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし③の続きです。

3月下旬〜4月3日 新たな治療法

毎日律儀にやってくる天井のない耐え難い痛みに私はどんどん衰弱していきました。
しっかり喋ることも痛みにつながるため、声量はどんどん小さくなり、首を動かすのも振動が伝わって痛いので、この頃はもっぱら天井ばかり見ていたように思います。

いつまでこんな日々が続くんや…と一日中そんなことを考えて大体泣いていました。

そんなある日、主治医の先生が回診時にある治療方法の話をしてくれました。
その名も「脊髄刺激療法」

脊髄刺激療法(SCS)とは

脊髄刺激療法とは、脊髄に微弱な電気を流すことにより、痛みをやわ らげる治療です。

痛みの感覚は、痛みの信号が神経 から脊髄を通って脳に伝わって はじめて「痛い」と認識されます。
脊髄に電気刺激を与えることで痛 みの信号が脳に伝わりにくくなり、 痛みがやわらぐと考えられています。
実際は、痛みのある部位に心地よ い刺激が重なることで痛みがやわ らぐと言われています。

●脊髄刺激療法は痛みを緩和するため のものであり、痛みの原因を取り除 く治療ではありません

引用-豊橋市病院ホームページより 『脊髄刺激療法 ハンドブック』


「実際どれほど効果があるのかは患者さん次第やし、痛みが消えるわけじゃないから」と先生は落ち着いたトーンでお話してくれました。
今回は脊髄に針状のリードを刺すだけではなく、リモコンからのセンサーの受診と発電媒体となる刺激装置を体内に埋め込むことになるので、受ける受けないの結論はそう簡単に出さないでね、ってかんじのトーンだったと思います。
ですが当の私はというと、「先生!こんなのあったんですか!超やります!!!!」と興奮気味に即決。
正直なんでもいいからとにかくこの痛みをどうにかしたくてたまらなかったので、藁にもすがる思いでこの治療方法を受けられるように懇願しました。

その後すぐに両親やボーダー夫さんにも刺激療法の話をしました。
当たり前ですがみんな一様にいい顔はしませんでしたが、見守る側としても現状何とかしてあげたいという気持ちが強かったのか、不安が残りながらも了承してくれました。

そうと決まればいざトライアル、といきたかったところなのですがこの治療法、その当時入院していた病院では行っていませんでした。
なので受けられる病院への転院がまず先と伝えられました。

前の年の12月から3ヶ月半もお世話になった病院を離れるのはすごく寂しかったです。
主治医の先生を始め、病棟の看護師のみなさん、血漿交換を行った血液浄化センターのみなさん、麻酔科医のハンサム先生…みなさん本当に良くしてくだりました。
私の話し相手になってくれたり、漫画やDVD、雑誌などをこっそり貸してくれたり、たまに変なおやつをくれたり…辛い闘病生活でしたがみなさんのおかげで良い思い出もたくさんできました。すごく仲良しになったし、めちゃくちゃ居心地良くなってしまっていたのでぶっちゃけ転院すげえ嫌だな…と思っていました。

看護師さんがくれた変なおやつ。UHA味覚糖らしい狂ったおやつ。

しかし自分のため、心配している家族のため、そんなワガママも言ってられないので(実際はめっちゃ言った)、渋々転院を決意しました。

転院先は、入院していた病院から車で7、8分ほどの大学病院でした。
その大学病院は疼痛緩和ケア科という痛み専門の科があり、今回私がお世話になったのもそちらの科です。
痛み専門ということで、様々な病気やケガに対する痛み緩和を専門にしているので、転院の手続きを始めてから1、2週間ほど経ってからでないとベッドが空きませんでした。

転院間近になるとお世話になったみなさんがこぞって私の病室に来てくれました。
「当日は当直じゃないから…」と次々とやってきてくれるので、そのたびうぉうぉと泣きました。
お手紙やお守りなどをたくさん頂いて、はじめて沢山の人に応援されたことに感激したと同時に、絶対良くなってやると強く思いました。
余談ですが、そのときに私は機械を体に入れる治療とターミネーターを掛けて「アイルビーバックって言って戻ってきますんで…!」とお見送りに来てくれたみなさんに言っていました。当然のごとくおおよそスベってた。

涙涙の別れでしたが、特に仲良しだった担当の看護師さんともう2人の看護師さんは今でも連絡を取り合っています。
主治医の先生に関しては、今でも月一で診察をしてもらっており、先生を介して私の現状を看護師さんに伝えたりしているそうです。

4月4日 いざトライアル!

転院当日、介護タクシーで転院先の病院へと向かいました。
痛みで起き上がることができないので、ストレッチャーのまま車に乗り込みました。
久しぶりに浴びる直射日光はとても眩しかったです。

タクシーの運転手さんは痛みの事を考えて、なるだけ近いルートをゆっくり走ってくれました。
それでもやっぱりめちゃめちゃ痛くて、大学病院についた頃にはぐったりとしていました。

余談ですが、その当時、寝たきりの為か腸が全く運動していなかったのか、ものすごい便秘に悩まされていました。(寝ていてもたぬきみたいにお腹がパンパン)
転院当日の朝に半分やけくそで、いつも飲んでいた液状の下剤を少し多めに飲んだら、車の揺れも助けてかいつの間にかえげつない便失禁をしていて、大学病院についてすぐうんこまみれの服を着がえるという恥ずかしい初めましてになってしまいました。

ついて早速疼痛科の主治医の先生に診察をしてもらいました。
そしてすぐに脊髄刺激療法のトライアル手術が行われることに。
1時間もせずに手術は終了。
その後すぐだったかは忘れてしまったのですが、脊髄刺激療法の装置を扱っている業者さんがやってきて、電気刺激の調整をしますとのことでした。

電気刺激の調整は、トライアル期間中は体外にある刺激装置とPCをつないで脊髄のどの辺りに刺激を流せばいいかを探る作業です。

これが絶望するくらい難しい…!

どのポイントに刺激を与えれば緩和されるのかは感じている私のさじ加減なので、集中してどこに刺激が当たっているかを感じて指示を出さなければなりませんでした。
けれど、ピンポイントに当たっている場所を感じるのが凄く難しく、「もう少し上…かも…」と曖昧な指示しか出来ないので、なかなかいいところに当たらず、何度も何度も嫌というほど調整しました。

このトライアル期間は1週間という猶予が与えられており、その間に効果が無いとなれば、本埋込はせず、刺さっている針を抜いて、また別の方法を探すのですが、また一から治療法を探す気力がもうほとんど尽きていました。
なので、今はまだいい場所に刺激が当たっていないから痛いままだけど、トライアル期間で絶対良くなる!と思わずにはいられませんでした。

けれど、調整があまりにうまくいかないので、途中から集中力も切れてきて「あ〜そのへんだと思います」っていう業者泣かせの対応をし、貴重な1日を無駄にした日もありました。(本当にしんどかった…)

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今回はここまでです!
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし③で「次回は回復していく話をします!」と言っていたのですがホラ吹きました。
トライアル期間の最後まで書きたかったのですが疲れたので次回書きます。

それではまたー!

【この話の続きです】
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑤
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑥
急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑦