急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑪

急性散在性脳脊髄炎にかかったはなし⑩のつづきになります。

こんにちはせきそん嫁です。
こちらのシリーズもいよいよ今回の記事で最終回になります。

長くて密だった入院生活もこう文章に起こしてみると意外と忘れていたり、早くシリーズを終わらせたい思いが強すぎてあえてすっ飛ばしてたりと、伝えられていない部分が実は多々って、珍エピソード的な部分はほぼカットできたので相当退屈な記事だったかと思います。
それでも根気よく最後まで読んでくれた方、ズッ友だょ。
今回もそんな感じの記事になっていますが、どうぞ最後までお付き合いください。

MY車椅子選び

夏の一時帰宅を体験し、そこで確認できた不足している生活動作を再トレーニングすべくより一層リハビリに励みました。
その頃になるともうすっかり退院後の快適な生活を送る為のトレーニングばかりで、私自身一時帰宅の経験から思ってた以上に大変だと焦りを感じて、優先度の低くなっていた立位歩行の訓練をしてくれと強要することもほとんど無くなりました。

そんなある日、そろそろ退院に向けて自分専用車椅子も選ばないとね、という話になりました。
「ああそうだそうだ〜」とそのときは気丈に振る舞ってはいましたが、ついに身体の回復限界の現実に向き合ってしまったような気がして、ゔっと胸が詰まるような苦しい気持になりました。
同時にいよいよ長い身体障害者生活が始まるなと憂鬱になったのを覚えています。
ちょうどその時期に以前私が入院していた大学病院の神経内科のお偉い先生が、リハビリ病院に定期回診をしにやってきて、「もう退院だってね、車椅子は選んだ?」と声をかけられた際に、思わずオロオロと泣いてしまったこともありました。
普段から楽天家気取っていたしリハビリの最中だったから目立ってかなり恥ずかしかったな…。

そんな涙ちょちょ切れるような心境だった訳ですが、車椅子は今後の生活で私の脚となる大事な相棒的存在なので、ペットを選ぶような、一張羅を選ぶような、そんな感覚で選びました。

最初担当のPTさんが提案してくれたのは、電動車椅子でした。
文字通り電動で動く車椅子なので自走する必要はありません。

現在のYAMAHA軽量電動車椅子

[画像引用]JWアクティブ PLUS+ – 電動車いす | ヤマハ発動機株式会社
電動車いす – | ヤマハ発動機株式会社

いっぱい外出してほしいからという理由だったんですが、ぶっちゃけ「無いな」って思いました。

電動車椅子を卑下してるとかじゃ全然なくて、ここまで体が動かせるのに電動は甘えだろと思っていたからです。
以前の私に床トラを教えてくれた脊損のお兄さんも、私以上に重い障害だったけど自走式を使っていたので余計にそう思ったのかもしれません。
あと完全に差別に似た先入観ですが、その時は電動車椅子を使うことが障害者であることをより一層認めるような気がしていました。
愚かだな〜と今になって思います。

加えて電動車椅子を選ばなかったもっともな理由を挙げると

・価格が圧倒的に高い
・車体が激重
・自走式に比べてデカい

って辺りが引っかかりました。
べらぼうに高いんですよね、一昔前の新古車の軽自動車なら買えんじゃないかっていう。

提案してくれて申し訳ないなと思いつつも、自走式がいいとPTさんに伝えたら、何だか嬉しそうに「そう思う!」と同意してくれて嬉しかったです。
憶測ですが、電動を勧めてくれたのは恐らく私が自ら電動に乗りたかったとして言いたくても言い出しにくだろうと思った彼女の優しさだったのかな〜と今になって思います。

自走式の車椅子を選ぶことになり、優先したい機能を出していくことに。

まず私が拘ったのは「軽さ」です。
というのも当時乗っていた車椅子というのが、レボ2という海外製の車椅子でした。

病院経由でレンタルしていた車椅子。重たい。

[画像引用]ラックヘルスケア 製品案内

これがまあクッソ重いのなんのって。
確か20キロくらいあったと思います。
普通病院やらに置いている通常の車椅子もそれくらいの重さなのかもしれませんが、リハビリで車に車椅子を入れ込む練習をしてたのですが、とてもじゃないけど持ち上がらない!
今後私以外の人が車椅子を持ち上げてくれることもあるだろうし、まずは今以上に軽量化せねばと強く思いました。

軽さ以外もいろいろと希望を出し、結果いろいろカスタムできてなおかつ高性能高品質、 名実共に車椅子界の一流メーカーのオーエックスエンジニアリング(OX)を選びました。

OXは、千葉県に本社を構える車椅子開発製造を行う日本企業で、元々はオートバイのエンジンの開発製造を行なっていたのですが、創業者の石井重之さんが不慮の事故で脊損になり車椅子生活を余儀なくされたことがきっかけで車椅子事業を開始したそうです。
当時もオーダーメイドの車椅子はあったけれど、もっと機能的でイケてる車椅子が欲しいってなって、自ら車椅子を作ったのが始まりのようです。

日常用の車椅子だけでなく、スポーツ競技用の車椅子も製造していて、その高性能高品質を裏付けるように、多くのパラスポーツ代表選手もOX製の車椅子を利用しています。

オーエックスエンジニアリング OX-ENGINEERING 車椅子メーカー サポート選手紹介

なんとも名だたる選手ぞろい。

ここまで良いものになると普通の車椅子よりもお値段は張りますが、その価値は十分にあると言えます。
正に車椅子界のベンツと言ったところでしょうか。(適当)

メーカーも決まったところで、さっそく車椅子を選ぶことになりました。

OXの日常用車椅子は全部で9種あり、各車椅子基本的にカスタマイズが可能です。(一番価格の安い機種は出来なかったかも)
私は軽さと、キャスター(前輪)にサスペンションがつける事が出来て、あと何かと自走するときに指に引っかかってたスポークの数を少なく出来て、カッコよくて乗りやすかったら何でもいいやと思っていたので、(この時点で全然何でもよくはない)その中でもお値段の手頃なSXという機種にしました。

OXの車椅子はスポーツっぽいのが特徴。

お手頃価格とは言えそれでもいろいろ付けたら35万円ほどしました。

一応車種は決まったとは言え、もし思っていたのと違うとなってもいけないので、その後実機を試乗しました。
こいつは間違いない!というかぶっちゃけローエンド以外目立った違いも分からなかった(全部良い)ので、試乗後予定通りSXを購入することに。
確か購入したのが9月で手元に届いたのはその翌年の3月でパラリンピックが被ってエンジニアが足りないみたいな理由でタイミングも悪かったのですが、結構待ちました。

実際届いたMY車椅子。冠婚葬祭のこと考えて落ち着いた色味にするのがおすすめだそうですよ。私のはフレーム白のタイヤが紺の組み合わせです。かわいくない????

退院!

そんなこんなで車椅子も決まって、ある程度リハビリもやり尽くし、あとは退院を待つだけに。
半年に及ぶリハビリ合宿のお陰で一時はどうなる事やらと思っていた床トラも習得できていたし、お風呂も一人で入れるようになっていて、なんだかんだで結意義な半年だったと思います。

そしてとうとう退院の日。
根気よくリハビリに付き合ってくれたことに感謝しつつも内心「もうこんなとこ二度と来るか…」としみじみ思いつつ看護師さんやPTさん、OTさんに見送られながら病院を後にしました。

やっと解放されて嬉しいのと、今日からもっと大変な日々がやって来るんだろうという不安で変な心境の最中、突然帰りの車内でボーダー夫さんからおもむろに桐箱を渡されました。
蓋を開けるとなんとそこには指輪が。

「退院おめでとう、結婚しましょう」

…突然のプロポーズ…!
結婚しようとは前々から言っていて、おふざけ半分で「プロポーズされてない〜」って言ってはいたけどまさかこのタイミングで。

その時の一緒に乗り合わせていた両親のどうしたらいいんや感。

しかしすぐさま、車内の空気に耐えられなくなったお母さんの「へその緒の箱か!?(渡された桐箱)」って迷言が飛び出し、直ぐさまお父さんが「ばかたれ!」とお母さんを制したことでその空気はあっさりぶち壊されてました。

格好はつかないプロポーズでしたが、ある意味この事は一生忘れないと思います。

確かに見れば見るほどへその緒の箱。

そんな感じで私の入院生活は幕を閉じました。

退院後の一年間は実家で過ごし、その翌年にはボーダー夫さんが用意してくれたバリアフリーリフォームハウスで暮らしています。

病気をする前、普通に仕事をし一人暮らしで彼氏なしの私が、3年後には身体障害者になって結婚して持ち家で住んでるなんて、妄想癖の私ですら微塵も想像出来ませんでした。

病気をして大きなものを失いましたが、別の違った大きなものを手に入れる事は出来ました。
これらが同等の価値なのかそれ以上かそれ以下かは今後の人生次第なのかなと思います。

以前にも辛く苦しいことは時がなんとかしてくれるっていう話をしましたが、本当にそうで、この身体は今現在でもうんざりしますが、ピークの絶望に比べたらなんて事ありません。
時間がゆっくり過ぎて、深く考えることを放棄してから気持ちが楽になった気がします。
そう考えると今現在はそれ以上の価値なのかもしれません。

結婚生活は今年の1月で1周年を迎えて、以前と変わらず楽しいし幸せです。
ボーダー夫さんと出会えたことは私の人生においてスーパーラッキーなイベントだったし、完全にひとつのターニングポイントでした。
病気になったことで2人の距離をグッと縮めることになったのは間違いありませんが、病気にならなかったとしても結婚してた気がします。(完全なノロケ)

ありがたいことに私の周りには私を支えてくれている人がたくさん居てくれていて、私は同じように障害を負った人の中ではずっと運が良くてラッキーな人間なのかもしれません。
今後の人生どうなっていくかなんて、3年前の自分と同じく全くわからないですが、人に恵まれたラッキーな星の下で生まれたと思って今後ものらりくらり生きてけたらいいかなと思います。

陰気な上にずるずると続けてたシリーズ記事を根気よく読んでいただきありがとうございました!
闘病中のことで気になったことなどありましたら、いつでもお問い合わせからご質問ください!

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それでは!